囚人は通夜にいきたい

2016/5/13~19

大岩雄典・吉野俊太郎 二人展

「囚人は通夜にいきたい」

▽会期:2016/5/13 から 5/19まで (会期中無休)

    10:00〜18:00

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 本展のテーマは「自然主義的リアリズムの私への弔い、そして私-以後」です。

 明治から現代までの日本美術をとりまく「私」は、ポストモダンを経て、安易な「非人間的なもの」の称揚に見舞われています。明治維新において導入された西欧のロマン主義は、文芸においては水野葉舟や田山花袋、美術においてはラグーザ、黒田清輝、また高村光太郎や朝倉文夫のロダン解釈をとおして、自然主義的リアリズムとして成立します。言文一致運動において成立した「一人称-私-主体」は、すなわち「私」という名をもつ「キャラクター」であり、ここから日本人の文化的・芸術的アイデンティティは、「私-キャラクター」を想像的に認定することで、自己の空無感を備給する、というナルシシックな「視覚」に基礎づかれます。それは、作品の「説明」を求め同定する姿勢や、また自己の物語、社会的不安を「貧しさ」「可能性」として共有しようという「小さな物語」にアイロニカルに没入しようとする姿勢にも表れるものです。高い識字率のうえで、インターネットや個人ウェブサイト、SNSはより即自的な「言文一致装置」として駆動し、視覚および「名」に依存した「私-キャラクター」の想像的再認は、身体との分節のなかで複数化していき、実存は「解離性」のものに変わっています。人間が「神経症」でなくなっている現代において、科学にもとづく「非人間」の早急な称揚に与せず、「近代-私」の衰退を見届け、しかしまたその「亡骸」が簒奪されないための「通夜」として、本展示は展開されます。

 作品に自らの幻像を認めて転移・共感するような囚人的観賞への餞けとして、そのむしろ自身の不可能性を作品のうちに、また提示される「私-の-死体」「私-の-水子」のうちに観る「退屈」の観賞を研究します。展示者二人は、それぞれ日本彫刻史と、キャラクター(刻まれるもの)の存在論とを掛け金に、「私」の通夜に弔い、「囚人」の通夜に弔います。そのなかで、ひとつの「あまりの人間-以後の人間」を展望します。

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 大岩雄典(おおいわ・ゆうすけ 東京藝術大学美術学部デザイン科在)は、単純なオブジェ、やや単純なビデオ、複雑なテキストを主なメディアとして用います。言葉ともの、それらのあいだ、あるいは演劇的なふるまい。観賞の時間や展示・作品そのものの存在論、人間が物を見るということ、事後性、展示の限界、などをテーマに持ちます。

 吉野俊太郎(よしの・しゅんたろう 同大美術学部彫刻科在)は日本彫刻史の浮遊した自己同一性について研究しており、近作では木彫技法、またオブジェや絵画、写真などのメディアを用いて制作しています。本展覧会では、仮組みされた純日本的彫刻を思考する映像作品などを発表します。

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▽会場:

アートスペース「ココノカ」

〒120-0026 東京都足立区千住旭町36-5

JR・東京メトロ千代田線または日比谷線 北千住駅東口より徒歩5分

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